【本堂】
工学博士天沼俊一先生の設計になる。
室町時代の粋を集めた木造大建築。
7間7面単層入母屋造本瓦茸、
総建坪587.4u(178坪)の総けやき材で
創立当時の面影を残す。
【大寶殿】
平成10年に法華宗開宗750年を記念して建立
【大寶殿宝物館】
信長公遺品、本能寺の変遺品を初め災禍の中、
先人達が守り伝えた
名品の数々を展示公開しています。
・時間AM10:00〜PM4:00
・休館日・年末年始、展示替え日
【入館料】
・一般/500円 ・本能寺会館利用者/300円
・中・高校生/300円 ・小学生/250円
・修学旅行生/200円 ・障害者/200円
所 在 地 京都市中京区寺町通御池下ル下本能寺前町522-1
御 貫 首 岡本 日亘
T E L 075-231-5335
F A X 075-211-2838
アクセス ・地下鉄東西線 「市役所前駅」すぐ
・JR京都駅 地下鉄烏丸線「烏丸御池駅」乗換、
 東西線へ市バス「河原町三条」バス停下車
・市バス・京都バス 「河原町三条」バス停下車
・京阪電車「三条駅」下車、東へ徒歩5分
・阪急電車「河原町駅」下車、北へ徒歩10分
1月1日 元旦祝祷会
2月節分 節分会
15日 釈迦涅槃会
16日 日蓮大聖人御降誕会
25日 開基日隆聖人御入滅会(御開山会)
3月 彼岸会(始・中・終)
4月第一土・日 釈尊降誕会
28日 立教開宗会
5月6・7日 千部会
12日 日蓮大聖人伊豆御法難会
6月第一土・日 信長まつり
8月16日 盂蘭盆施餓鬼会
9月12日 日蓮大聖人龍ノ口御法難会
15日 放生会(三光天子・番神会・鴨川にて)
彼岸会(始・中・終)
彼岸会中 船上川施餓鬼(嵐山保津川にて)
10月10日 日蓮大聖人佐渡御法難会
12・13日 日蓮大聖人御入滅会(御会式)
14日 開基日隆聖人御降誕会
11月11日 日蓮大聖人小松原御法難会
12月31日 除夜法要
京都の四季は美しい、周囲の山は季節によって衣更えを楽しむがごとく、色をかえていく。
西には桂川、東には鴨川が流れており、古来より都人が歌に詠みたたえた景勝の地が現在も名残りをとどめている。多数の神社仏閣が散在し「京都は日本人の心の故郷」と云われる所以である。本能寺はこの景勝の地京都鴨川のほとりに法華宗の法灯を掲げ続けている。
しかし本能寺が日蓮大聖人の教えを弘める法華宗本門流の大本山であることは意外と知られていない。本能寺は日隆聖人を御開山と仰ぎ『法華経』の根本義と日蓮大聖人の真意を説き明かし、お題目を唱えて信じ行ず大霊場である。日蓮大聖人の教えの真意は『「法華経」の本門八品に説かれた上行所伝本因下種の「南無妙法蓮華経」に全身全霊を捧げ、本門のお題目を信じ唱えるほか私どもの成仏の道はない』という教えである。人々に「南無妙法蓮華経」を信奉させ、口に唱えさせることが日蓮大聖人の生涯の念願であった。
御開山の日隆聖人は応永22年(1415)伯父にあたる日存・日道両聖人と共に妙法寺(現在の妙顕寺)の網紀の粛清に努めたが志を遂げられず同寺を去った。そして油小路高辻と五条坊門の間に本応寺を建立し、日蓮大聖人の念願である人々の口に「南無妙法蓮華経」を唱えさせるべく教化を始めた。本能寺は1415年から1432年までは、「本応寺」と寺名を使い、1433年から現在まで「本能寺」を使用している。
その理由は「門八品相応能弘之寺」の言葉より本応寺・本能寺という寺名にした。
【本能寺の変の前日】
天正10年6月2日未明に本能寺の変は勃発した。原因は光秀公の怨念説、光秀、秀吉、家康との三者共謀説、天皇・公家の陰謀説、千利休と堺町衆説他と枚挙にいとまがない。信長公は本能寺に到着したのが5月29日秀吉公の中国出陣要請に応じたものであった。
本能寺の変の前日6月1日は昼間公家、町衆40名程招待し、名品38種の茶道具を持参し、御茶会を催している。夕刻には晩餐会、夜には本因坊日海上人と鹿塩利賢の囲碁の御前試合を見て就寝した。

【織田信長公廟】
三男織田信孝公の依頼により
本能寺が建立

【塔頭】
かつて塔頭は26院あった、
現在は東より龍雲院、源妙院、
本行院、高俊院、定性院、
蓮承院、恵昇院の7坊。

【本堂南側・乙女つばき】

【本堂南側・桜】
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